歩くくらいで。

のんびりとわが道を往きましょう。

根から、葉から、ひとつの矛盾。

 

なんともキナ臭い昨今。

 

 

あの国が嫌い、この国が嫌い。

そういう論調。

さてこういう場合、国家が嫌いなのか、国民が嫌いなのか。

 

 

なにぶん中途半端にデリダレヴィナスをかじった僕は、構造主義的に物事を考えがちだ。まあ、そう決めつけることで、凝り固まってる気もするが。

 

人がある国家を(或いは国民を)嫌悪の対象とするとき、そこにはその人にとって何らかの「罪」が存在しているといえるのではなかろうか。

 

 

国家は国民によって作られる。故にこの論理を辿ると、国家への嫌悪はもっと小さな単位へと分解され、国民へと転移する。

 

正直これは僕の支持したい、というか帰結させたい論理とは異なる。

国家の罪を、見境無く国民が背負う必要は、無い。そう思いたい。

 

 

都合よく言いたいときでさえ。

 

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